フットサルヒーローズ・代表理事/牟田口勇人インタビュー

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私が「フットサルヒーローズ」を立ち上げる理由(わけ)

~伝わらない・伝えられない・伝えてもらえない―。もどかしさからの脱却と挑戦~

中学生で初めてフットサルに出会い、やがてFリーグへと上り詰めた牟田口勇人さん。現在は自身の会社を経営しながら、膠着したフットサル業界に新たな風を吹かせようと奮闘している。周囲を見渡せば、フットサルイベントを企画する人こそ目につくが、新たなリーグを立ち上げようとする動きは、まだ十分な成功事例がないに等しい。あえてそこへ、自分が、参入する所以とは何なのか―。牟田口本人に聞いた。

フエルテ大阪時代

サッカーとの二足の草鞋から、最後に選んだフットサル

牟田口がサッカーを始めたのは中学生の時だった。トップまで上り詰めた人の多くは幼少期からボールに慣れ親しんでいることを考えると、男子の中では珍しいケースに違いない。「人が足りないってことでサッカー部に入ったんですけど、当然周りは経験者ばかりで。自分はインステップも知らないようなレベルでしたから(笑)。当然試合にはなかなか出られませんでしたよね」と、本人は当時を笑って振り返る。

試合に出られないうっぷんを晴らそうと、中学3年生の時に「フットサル」ができるところを探した。インターネットで検索し辿り着いたのは、フエルテ大阪。2001年設立、地域チャンピオンズリーグにも出場歴のある、関西の強豪チームだ。

「サッカーも結局クラブチームで続けることにして、しばらく”二足の草鞋“が続きました。大学生の時にFC鈴鹿ランポーレ(現・鈴鹿ポイントゲッターズ)のセレクションにも合格して、そのシーズンはサッカーに費やしたこともありましたね。ただ、どんなにサッカーをやってもフットサルは思うようにいかない。そのもどかしさがいつも自分の中に残ったままでした」

歯がゆい思いがぬぐえなかった時、ふとフットサルだけに集中する時間を作った。するとどうだろう。今までしっくり来ていなかった自分のプレーが、みるみるクリアになった。思えばコートの広さも違えば、そこに立つプレーヤーの人数も違う。ディフェンスとの間合い一つとっても、求められるものが違ったのだ。改めて一つに専念することで、牟田口の中で初めてと言っていいほどの”手応え“が生まれた。

制約の多さに直面した、フットサルチーム立ち上げ期の苦悩

実はこの”手応え“を感じるよりも前に、牟田口は自分でフットサルチームを作り、同時に起業をしていた。一度は一般企業に就職するも、企業を目論んでいた牟田口は「会社のプリンターで起業届を印刷しちゃって(笑)」あろうことかそれを上司に見られた当人はすぐさま決断を迫られ、結局”自社”への一本に専念する道を選んだ。

ただ、選んだ道は決して平たんなものではなかったという。事業が安定するまではアルバイトとの兼業、チーム運営を一からこなすのも初めての経験だった。リーグへの登録、ユニフォームの制作、スポンサー集めにチーム強化…かかるお金も思ったより大きく、何より数々の「制約」を味わった。

サラリーマン時代
当時担当した店舗
立ち上げたチーム

「府リーグを例にとれば、ピッチ上での撮影は今でも許可されていません。ユニフォームだってぎちぎちの規定があって、なかなか思うようなものがつくれない。さらにどんなに頑張って試合をしても、見に来てくださった方が動画を撮れるわけでもない…それもまた、禁止されていますから。でも、これって果たして誰のためのルールなんだろうと。もちろん必要な決まりもあるとは思いますが、なんでこんなにも昔気質なんだろうなと」

閉塞感にさいなまれるうち、突破口を見出したくなった。

「フットサルをしていても、伝わらない・伝えられない・伝えてもらえない。このままじゃ、せっかくついてくれたスポンサーの宣伝だって限界がありますし、集客だって誘引しにくい。昔から制約に囲まれると抜け出したくなってしまうタイプなのですが、まさにこれも、僕が現状から抜け出す大きなきっかけになりました」

起業してからFリーガーへ。異色の経歴

 実は牟田口の経歴を紐解くと、少し違和感を覚える点がある。それは、この起業を経た後にFリーガーの道へ進んでいる点だ。セカンドキャリアやアスリートのエンパワーメントが叫ばれるなか、スポーツ界にも起業する人が随分と目立ってきたことは言うまでもない。ただ、そのほとんどは引退後あるいはプロとして名が売れたあとに自分の会社を立ち上げることが多く、「起業してからFリーグに来るって、他にいないんじゃないですかね」と本人も笑って答えた。

 逆説的ではあるが、「会社員を辞めて起業したことで、自分の時間がつくれたのも(Fリーグを選択する上で)大きかった」と付け加えた。知り合い伝手でデウソン神戸の門を叩いたのが、26歳のとき。「25歳までしか取らないと言われていたんですけれど(笑)」、熱意を見せ加入を許された牟田口は、サテライトからトップへ昇格し、見事Fリーグのピッチを踏むまでになった。

『Fの頂』で見えた、新たな光と新リーグへの思い

 Fリーグのシーズンを終えたタイミングで結婚、まもなく第一子の誕生に恵まれた牟田口。家族を養うためにも再び自社での事業経営に専念する道を選び、現在に至る。以前から温めていたユニフォームブランドの構想も、2021年に無事リリースを迎えたところだ。

ブランド名は「FOOT CROWN」。ECサイトも既にオープンしている。

FOOTCROWN
FOOTCROWN契約チーム/美少年倶楽部(東京都1部)

そしてこれからいよいよ世に出すのが、「フットサルヒーローズ」こと、新リーグの設立。この軸となる部分を語るには、先の地域リーグでの”あのもどかしさ“、そして数々のフットサラーを魅了した『Fの頂』の存在が欠かせない。

「地域リーグが”伝えたくても伝えられない“”頑張ったところでなかなか応援してくれる人も増えなければ、賞金が出るわけでもない”という状況にあるなか、じゃぁFリーグはと目線をやると、観客数は年々減少。競技者のなかでも話題にすることが減ってきたように感じます。そのなかで『Fの頂』はどうでしょう?子供から大人までが夢中になり、毎週のYoutubeはもちろん、試合のライブ配信だって1万人以上の方が固唾をのんで見守っているわけです」

牟田口の前にも、明るい光が見えた。

「結局、人は自分の目で見ないと何がすごいかもわからないし、応援したい気持ちも湧かないですよね。Fの頂のように人間味も含めてリアルに描かれていたり、実際にものすごいシュートやテクニックを目の当たりにしたりすることで、子供も大人も『もっと知りたい』『試合を見に行ってみたい』って思うわけです。だから僕が設立する『フットサルヒーローズ』も、”地域の人にとってよく見える“、身近なチームをたくさん作りたいなと考えています」

運搬・設置が可能な小規模コートやゴールを用いて、ショッピングモール等でのイベントを想定。目の前で本物を見ることのインパクトに重きを置く姿勢だ。

リーグの詳細は現在詰めているところだと話すが、先述の見てもらうための企画はもちろん、これまで自分と同じように制約に悩んできた”同志“にも積極的に参画してほしいと、独自の規約づくりにも奔走している。脳裏には、ネットニュースで読んだスーパーリーグ設立を巡る記事も浮かんでいる。

「先日、スポーツのリーグにはアメリカ式とヨーロッパ式があると読みました。詳細は割愛するのですが、アメリカ式はメジャーリーグ、それを模した日本のプロ野球、あるいはJリーグなんかを想像してもらえればわかるように、チーム数がきっちり決まっていて、参入には高いハードルがある、いわゆる”閉じられた方式“。こういうといい風にも悪い風にも聞こえるかもしれませんが、そこに参入できれば「プロ」の組織として認められ、数の縛りなどの統制こそあれど、その枠にいる限りは大きな自由が保障される。それに対してヨーロッパ式は、欧州のチャンピオンズリーグを代表するように、協会に登録した200余りのクラブが大会に参加して、チャンピオンを競う。”開かれた方式”と書かれていましたが、いわゆる来るもの拒まずである分、誰にしも平等な扱いを重んじ、そのための規約やマネーフローに縛られ…自由や飛躍したマネタイズが難しい」

なるほど今のリーグは、まさしくヨーロッパ式。牟田口は”アメリカ式“を見据え、参入することを価値化するほか、エンターテイメント性の向上・ファンビジネスの強化を図りながら、各チームに直接資金が入ってくる仕組みなどを模索している。めざすのは”民間最高峰のリーグ”だ。

かつてサッカーとフットサルの二足の草鞋を捨て、フットサルに集中した後もチームを渡り歩いた牟田口。「制約がかかると嫌になってしまうタイプ」と自嘲する一方で、「現状を変えるために何が必要なのか」を研ぎ澄ましてきた過程でもあるのだろう。「フットサルヒーローズ」は言葉の通り、未来の青写真へ向かって勇敢に突き進もうとしている。
インタビュアー/河合 萌花

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